大正15年、わずか151名の生徒で開校した本学院も、この度めでたく創立100周年という大きな節目を迎えることとなりました。
本学院開学の由縁は、創立者平田華蔵が生家の寺院が困窮する中にあっても自らを学問の道に進ませてくれた母親への報恩の念にあったといいます。
爾来一世紀、仏教精神の根幹たる智慧と慈悲ならびにその実践としての敬虔・勤労・高雅という本学院教育の三大目標を堅持し、現在の隆盛に至りました、
これも偏に本学院の教育に理解を賜り、ご支援をいただいた有縁の皆様のお陰と、この機会にあらためて深く感謝申しあげ、共にこの節目の年を慶びたいと思います。
本学院の児童・生徒・卒業生を対象に「創立100周年記念ロゴマーク」を募集。
卒業生の行武亜沙美さんの作品が最優秀賞に選ばれました。
制作への思い
国府台女子学院の前庭にある沙羅の木をモチーフにデザインしました。鶴の羽のように白く美しい沙羅の花がとても綺麗だと思い、100周年にふさわしい華やかなデザインで作成しました。(行武さんより)
校舎前庭の沙羅の木
1月30日創立者平田華蔵、国府台高等女学校設立を世に公告した。
3月6日文部大臣より国府台高等女学校(5年制)設立の認可があった。
4月8日真間町東華園内友恒館にて入学式が挙行され、4学級151名が入学した。創立の趣旨に基づき、敬虔・勤労・高雅の三大目標を設定した。スクールカラーを濃緑(オリーブグリーン)とし、洋風の制服が定められるまで袴の地色として用いた。
5月9日開校祝賀式会開催。関係者約300名が臨席し、前途を祝した。以後この日を創立記念日と定めた。校章は、創立者の家に伝えられる菊菱と定めた。
4月15日地元有志のすすめから家政女学校(予科1年、本科2年)を開設した。(予科6名入学)
9月10日附属幼稚園(東華幼稚園※現日出学園幼稚園)を開設した。開園式を開催し、入園児46名を迎えた。
4月9日国府台高等女学校という校名を、国府台学院高等女学校と改称した。
1月28日御大礼記念自学文庫が実現し、自学自習の便が図られた。
3月16日本学院はじめての卒業式を実施。高等女学校卒業生39名、家政女学校卒業生5名の計44名が卒業。
5月礼譲剛毅の精神を養うために県下初の薙刀部を創設した。
5月20日月刊「国府台学院報」創刊、全校生徒に配布された。
11月3日第一回同窓会総会を開催した。来会者は20余名。菊菱同窓会と命名した。
1月24日寒中鍛錬を行った。松戸園芸学校(現千葉大学園芸学部)まで往復約15kmの苦行ではあったが、農園芸・工兵学校の各種新兵器の見学をし、得るものも多かったので、以降毎年の恒例行事とした。
5月9日創立5年記念式を行った。11学級550名の生徒を収容する学院へと成長した。
9月24日5年間で10名を数える物故生徒の弔いのため、第1回学悼会をしめやかに行った。
4月卒業後の家庭生活の実際的運用と結婚前の修養期間として、裁縫専攻科を開設した。きわめて自由だが、実際的な個別指導を行った。初年度入学者は10名。修業年限は1年間だった。
9月17日満州事変が起こった。バザーの収益金で慰問金を送付したり、満州の女学校に慰問状を送ったりした。
11月9日千代田・淑徳・日出の仏教主義による教育を行う各高等女学校で運動規約を作り、千代田高等女学校にて、第一回対抗試合を行った。
11月21日第一回武道大会を行った。薙刀の演技に始まり、弓道を行った。生徒の技量がだんだん進歩し、その奨励を目指しての実施となった。
3月13日卒業式に合わせて、校旗が完成した。オリーブ色にダークグリーンの二色に染め上げられ、塩瀬の生地(塩瀬羽二重のこと)に金糸で刺繡を施した地味なうちにも気品あるものであった。また操行善良、学業・体育成績優良な者を表彰する学院の最高名誉賞として、4名の卒業生に学院賞碑を授与した。授与に先立ち、学院賞碑規定を制定した。
4月同年より従来の組名をA・B・C組から1・2・3組に改めた。
11月12日附属東華幼稚園が5周年を迎え、記念保育大会を行った。
4月洋式の校服が生徒全員に行きわたった。
9月20日本学院編集の『女子国訳漢文教本』章華社版が発行された。上級生の授業で利用開始された。同日本学院一同で分担執筆していた『生活指導女学生訓』が発行された。全生徒が携行した。
4月菅野有志により、日出学園が設立された。同学園に幼稚園が設けられ、園長に平田華蔵学院長がなることに伴い、附属東華幼稚園を廃止した。
9月創立10周年記念事業として、卒業生の寄付により記念館建設が起工された。
2月25日総坪数67坪の記念館が竣工した。「順天府」と命名された。
同日創立記念祝歌募集の締切を迎えた。5点の作品応募があり、第7回卒業生の福島正枝作を第一等とする。増沢健美氏に作曲され、式典当日に全員で合唱された。
3月8日創立10周年記念事業として、後援会の組織が決まり、発起人会が開かれた。
3月31日高等実践女学校が設立(文部大臣認可)された。家政女学校は発展的解消となった。
同年女学校卒業生の裁縫学習の現状を鑑み、裁縫専攻科を開設した。
5月9日創立記念日に実践女学校が開校された。実践家庭科に52名が入学した。
8月2日平田華蔵学院長が千葉県代表として、太平洋教育会議に参加した。
4月9日真和会を設立した。本学院内外に向けて、平田華蔵学院長が毎週1回の仏教講話を行うこととした。
同年高等女学校に附属する教育機関の設置を目的として、『国府台学院規程』を作成した。
3月31日家政女学校の最後の卒業式を行い、同日廃校となった。最後の卒業生は49名。
4月16日覚生女子中学校(北京)の生徒40名が職員7名に引率されて、本願寺職員7名の案内により、本学院に来校する。午後4時の到着であったが、全校生徒を講堂に召集し盛大に歓迎会を開いた。
5月9日同年竣工した霊堂にて、初の供養式を行った。
4月8日初めての灌仏会花祭りを開催した。以降毎年の恒例行事となった。
4月11日初めての聖徳太子奉賛会を開催した。以降毎年の恒例行事となった。
5月9日創立記念式を行う。皇紀2600年にあたるため、記念大音楽会も開催する。東京音楽学校生徒110名の出演のほか、生田流琴曲の名手宮城道雄氏の演奏があった。
7月15日霊堂前で盂蘭盆会供養式を行った。以降毎年の恒例行事となった。(のちの供養式)
9月教育刷新要綱の制定を行った。戦時の影響を強く受けながら、学院独特の校風掲揚に努めることを明記していた。
11月11日皇紀2600年記念式を挙行した。各学年1本ずつの植樹を行った。
同年創立15周年祝歌が完成した。作詞高津才次郎教諭、作曲兎束竜夫講師によるものだった。
7月5日市川市教育会館より平田華蔵学院長、野村美代子(高女)・斎藤英子(実践)が教育功労者として表彰される。
10月31日創立15周年記念事業として体育館(193坪)が竣工した。
11月2日体育館工事中のために延期されていた学院創立15周年祝典を挙行した。
2月14日外国語会を開催した。
2月23日午後1時より珠算競技会を実施した。
6月1日印旛郡志津村に約2町歩の農場を経営することとした。
秋各学年が志津豊栄農場に出向し、農耕作業に従事することになった。
4月6日入学式を挙行した。実践女学校の募集は停止した。
春第5学年の学徒動員が命じられた。
9月30日第2165部隊の隊長以下幹部が本学院に駐在することになった。
3月28日29日と両日にわたり、全校生徒は大柏へ薪運搬、相互へ備品疎開のために出動した。
4月5日高等女学校に修業年限3か年の専攻科を設置した。
5月第3校舎の疎開を命じられ、運動場の中央まで移転した。
5月9日第20回創立記念式挙行後、出動学徒慰問演芸会を行った。
8月15日終戦の大詔が下り、第2165部隊が解散した。
1月1日宗教教育を復活した。
4月5日専攻科を修業年限2か年に変更、学制の改正が近づいたため、募集も停止した。
5月9日創立20周年記念祝賀式を挙行した。式後校庭で大園遊会を開催した。記念事業として記念館階上に図書館を1棟増築した。
11月3日明治節並びに新憲法発布記念式を挙行した。引き続き大運動会を開催した。
3月31日高等実践女学校が廃止された。高等女学校の修業年限を5か年に復活したため、卒業生なしとなった。
4月5日学制改革により、女子中学校を設立し、9学級編成となった。校名を国府台学院女子中学校・女子高等学校へ改称した。
5月「婦道」が再刊された。本誌がのちに「学院だより」となった。
5月3日新憲法実施記念式を挙行した。
4月5日学制改革により、高等女学校が廃止され、女子高等学校を設置した。
5月5日白菊会(生徒会)が発足した。
5月9日育友会発会式を行った。初代会長に保々誠次郎氏が専任選任された。
4月9日5日制を試験導入するため、第一土曜日を休校とした。
5月9日白菊会会則を制定した。
6月15日「学院だより」が創刊された。
7月15日白菊会年刊雑誌「むらぎく」が創刊された。
11月28日創立25周年記念事業として、増築上棟式が挙行された。
4月16日法筵第300回記念の真和会館落慶入仏式を挙行した。
5月9日創立25周年記念式事業、理科室・家庭科教室落成記念式を挙行した。
2月13日私立学校法により、学校法人平田学園が設立され校名を国府台女子学院と改称し、女子中学校を中学部、女子高等学校を高等部と改称した。
2月14日英語弁論大会を開催した。
7月21日29日まで高等部第1回高原学校、28日から8月5日まで中学部第1回高原学校を木崎湖に開設した。
12月25日28日まで小林旅館(妙高高原)で第1回スキー学校を開設した。
4月1日制服が復活した。
8月31日専門部の開設のため、思永寮・タイプライター教室を新築する。洋裁教室・あずま寮(和裁・教室)の改装工事が完了した。
9月11日産業教育の伸長、社会教育の一端として、服装科(洋裁・和裁)、タイピング科(邦文・英文)、料理科(西洋料理・日華料理)の授業を開始した。
10月8日専門部開設披露式を挙行した。
1月17日2週間、寒中マラソンを実施した。以降毎年の恒例行事となった。
3月24日各種学校として専門部開設の認可が下り、4月11日より専門部の授業が開始された。
3月6日はじめての鉄筋コンクリート建の新館(3階3教室)が竣工した。卒業生・在校生の寄贈により、梵鐘が完成した。
11月3日第1回学院祭第1部(大運動会)を開催した。
11月12日第1回学院祭第2部(展示・バザー)を開催した。
12月平田博副学院長がビルマ(現ミャンマー)・インドへ視察を行った。
12月4日千葉県私学団体連合会の発会式を挙行した。平田華蔵学院長が初代会長に就いた。
12月31日学院にて、はじめて除夜の鐘をついた。学院長ほか20数名の生徒が参加した。
1月21日記念館改築および図書館新設工事の上棟式を行った。
5月6日11日まで創立記念式をはじめとした創立30年祝賀諸行事を実施した。
11月3日創立30年記念学院祭第1部(大運動会)を開催した。
11月12日13日との両日、創立30周年記念学院祭第2部(展示・バザー)を開催した。
4月8日灌仏会花祭り式典を挙行した。10日には花祭観覧街頭行進を行った。宣伝カーに稚児30名、中学生550名が便乗し、行進に参加した。
3月2日学院制定の浴衣図案(生徒用・母の会用)の入選発表があった。生徒より多数の応募があったが、中学部2年小沢君江氏が1等に入選した。
5月3日平田華蔵理事長兼学院長が藍綬褒章を受章した。
10月2日日本仏教会主催のインド・プラサド大統領(Rajendra Prasad)歓迎会に高等部2年1・2組の生徒が出席した。
1月16日報恩会の式典を開催した。式典後、敬老会(午前榊原舞踊団による舞踊、午後は生徒による余興)を実施した。
4月15日米国人教師団(D.ブリックマン女史他)が着任し、英会話指導を行うこととなった。
4月20日母の会機関誌『母』が創刊された。
10月6日新校舎落成式を開催した。同時に慈母観音像の除幕式も行った。慶祝記念として、学院讃唱(川田浩氏作詞、町田嘉章氏作曲、大津美子氏吹き込みの記念レコードを発行)・学院音頭(川田浩氏作詞、町田嘉章氏作曲、林伊佐緒氏吹き込みの記念レコードを発行)が誕生した。振り付けは本学院の卒業生西崎若葉(山田みどり)が行った。
10月7日運動場の特設土俵にて、祝賀大相撲を開催した。横綱栃錦、栃光、北葉山・大鵬らなどが出場した。
4月4日小学部開設、33名が入学した。
5月9日創立35年記念式典を挙行した。式後、校庭にて祝宴及び祝賀運動会を実施した。
2月26日菊菱同窓会総会を記念館にて行った。
8月21日水泳プールが竣工した。(5コース・サブプール付き、設計者佐伯丙牛・施工者佐藤組)
5月9日創立記念日に新旧学院長歓迎会を開催した。新学院長は平田博前副学院長先生、平田華蔵前学院長先生は理事長職に専念することになった。
10月26日校内外の有志発起人により計画された平田華蔵前学院長(創立者)先生の胸像が完成、除幕式が行われた。
7月22日新築された青木寮(長野県青木湖畔)にて、高原学校を開設した。
10月1日小学部校舎竣工祝賀式を挙行した。浮谷竹次郎市長をはじめ、来賓多数の臨席を賜った。
10月19日本学院内にガール・スカウト千葉16団・17団が結成された。初代リーダーには村松・三村の両教諭が着任した。
9月29日東京夏季オリンピックの聖火リレー走者を規定の正装にて体育館で紹介した(第一副走者木村素子氏、副走者伝谷徳江氏・佐々木千恵子氏・金森志津子氏・木村博子氏)。
11月12日平田華蔵理事長が勲四等を叙勲され、瑞宝章を賜った。
12月8日小学部新聞「におどり」が創刊された。
5月9日創立40年記念行事として大講堂(寿光殿)竣工記念式典並びに大園遊会等を開催した。
5月22日中学部新校舎定礎式を行った。
7月1日学院長が得度式(京都・浄土真宗西山別院)を終え、法名博永と改められた。
11月23日中学部旧校舎(第2校舎・第3校舎)の取り壊しを開始した。
3月17日平田華蔵理事長が逝去した。27日に寿光殿大講堂において、葬儀及び告別式を執り行った。
10月31日第22回市川・船橋地区英語研究発表会が和洋女子大学附属国府台女子高等学校(現:和洋国府台女子高等学校)で開催され、出場から4連勝を飾った。
在校生が”先輩”から進路について学ぶことを主旨とし、卒業生の講演動画を配信する企画です。進路選択に悩む在校生が将来について考えるきっかけとなり、また100周年という節目を機に在校生と卒業生が結ばれることを願って始まりました。 “卒業生”という身近な存在から、在校中の大学受験に向けた学習、大学での学び、現在の仕事内容など、幅広くお話を聞くことができます。生徒によるインタビューを通して生徒目線の率直な質問にも答えており、身近なキャリア教育とも位置づけております。 今後、様々な分野で活躍する卒業生の講演動画を在校生、保護者を対象に配信していきます。
※卒業生のプライバシーを考慮し、本企画の動画の公開は在校生とその保護者に限定させていただいております。
こちらから動画を視聴できます(パスワードを入力してください) KGS進路ナビ 動画ページ
謹啓
本学院に御縁を賜りました皆様におかれましては、慈光照護のもと日々ご精進の事と察しお慶び申し上げます。
さて、おかげさまを持ちまして本学院も来る2026年に創立100周年という大きな節目を迎えることとなりました。本学院が国府台高等女学校として産声を上げたのは、1926年、元号では大正15年のことです。創立時は4学級151名という小さな学び舎でしたが、現在では2000名近い児童生徒を擁するまでに発展できたのも、偏に学院教育にご理解を賜り陰に日向にお力添え頂いた皆様のおかげと、この大きな節目を目前に改めて厚く御礼申し上げます。
時代とともに我が国の教育の大きく変わり、それに対応すべく本学院でも先進の設備や機器の充実を図り、今後も鋭意継続して進めていく所存です。また、選択授業の発展など教室の繰り合わせが難しい現状を鑑み、新たに教室棟「創立百周年記念館」の建設を計画いたしました。
つきましては、より良き教育環境の実現を期し、まことに恐縮ではございますが、本事業に資するため皆様の御浄財を募りたく、伏してお願い申し上げる次第です。
経済状況厳しき折とは存じますが、創立以来100周年という大きな節目に飾る本事業の趣旨にご理解を賜り、格別の御支援を頂ければ幸いと重ねてお願い申し上げます。
謹白