本日は、浄土真宗をお開きになった、親鸞聖人のお誕生日をお祝いする仏教行事が行われました。
年に数回ある仏教行事では、毎回生徒の祝辞が読まれます。今回は中3のSさんによる祝辞でした。以下にその内容を転載します。
吹き渡る風が青葉の香織を運んでくる季節になりました。本日ここに浄土真宗の開祖親鸞聖人の降誕会をお迎えできたことを私たち生徒一同大変喜ばしく思っております。親鸞聖人は、貴族の時代から武士の時代に移り変わる動乱の平安時代末に京都でご誕生されました。9歳で出家された聖人は比叡山で厳しい仏道修行に励まれますが、修行を積めば積むほど自分の煩悩だらけの姿が見えてくるばかりで、迷いの霧が晴れる事はありませんでした。ついに親鸞聖人は29歳のとき比叡山を下りる決心をし、「善人も悪人もすべての人が等しく救われる」という法然上人の念仏の教えを学びました。親鸞聖人が90年の生涯で学んだみおしえの一つに、「平生業成」というものがあります。この言葉は「人間は生きている今、すでに救われている」という意味になります。私は時々「生きている意味とはなんだろう?」と考えることがあります。聖人は自分自身の人生を模索し、「自らの歩む道」を明らかにし、人々を導いていったのです。そして、今生きる私たちはその「人生の目的はなにか?」という疑問を生涯かけて解決していく事が大切なのです。現代という時代に於いては、周りや力の強い人々に皆流され「自分らしさ」を見失ってしまっているように思えます。助け合いながら支え合いながら生きるということも大切なことですが、自分というのは一人しか居ない「唯一無二」の存在なのです。私たちは「生きる意味」は見つけられなくても、「生きる目標や目的」をはっきりと定められるのは自分しかいません。「自分」というものを見つめ直し、「生きる目的・目標」について考えていくことが大切なのだと思います。自らの弱さに気付かされ、少しづつでも真実の生き方へ方向転換していくのが親鸞聖人の教えです。本学院の生徒として、親鸞聖人の教えに出会い、自分の命はいろいろな人達の支えによって生かされて生きているのであったと気づけるご縁をいただけたことに感謝し、祝辞とさせていただきます。